紅村窯 歴史
100年以上の歴史を持つ 紅村窯
長い歴史を持つ清水焼の伝統の中で、紅村窯は100年以上続く窯元です。
初代は林 永次郎 大正4年(1915年)岐阜県より清水寺の参道茶わん坂へ移り住み青磁を主として貿易関係など戦前大きく事業を行いました。永次郎の次男である林 円山(えんざん)(明治39年(1906年)生まれ)も家業を手伝いながら制作を始めました。戦後に円山から紅村と改名、現在の紅村窯を代表する白磁、青磁を開発を進めました。円山の次男である 紅村(当代、林克行)がその技術を継承しさらに追求していくことで現在の紅村窯独自のシンプルな作品へと発展していきます。
四代目となる1人娘の林侑子とともに三代にわたって培われた伝統技法と格調を研磨しつつ、その美しさの中に新しい息吹を盛り込んだ作品を制作。
次代を継ぐ林侑子は2016年よりハサミを使った独自の装飾を生み出し
土鋏(つちばさみ)と名付け新しい伝統の道を切り開き紅村窯の新しい伝統と
なる作品を制作しております。
紅村窯 林 侑子
紅村窯の西施白磁(せいしはくじ)と名付けられた白磁は、中国の古窯で作られた白高麗(白磁)から発展したなめらかな乳白色が特徴。
ロクロ成形が大変困難な独自の調合の土は、西施白磁制作技術を誇る洗練された形と、東洋美人の肌を連想する白玉の様な乳白色で、釉調と相まってまさしく中国の代表的な美女 西施 の命名がふさわしい白磁。
また、青磁も中国の宋時代、豊穣な成熟を示した青磁を古来の製法を躇襲しながら林 円山が改良を重ね深い色味を追求しました。優雅で独自の深く柔らかい色調を持つ紅村窯独自の発色の青磁となります。